スピリチュアルな占い師との出会い
2009年に、スピ子と出会った。今から15年も前のことだ。
当時の私は、かれこれ25年、ラジオのディレクターをメインの職業としていたので、東京のFM局で占い師を数人集めて番組を作ることになった。マスクをつけた占い師や、LGBTQを装った占い師や、運悪く収録後すぐ警察に捕まってしまった占い師とともに、スピ子の姿があった。みなフレンドリーで仲良く番組を収録していたが、スピ子には特別惹かれるものがあった。占いの語り口や、その真実味や、寄り添う感じ。顔も美しいし、スタイルもグラマラス。占いは人並みに好き程度の私であったが、この先も一緒に仕事をしたいと思った。
このFMラジオ番組は1年ほどで終了したが、別の放送局で新番組の枠が空いたので、私はスピ子の番組の企画書を通して、その番組は、約10年続いた。スピ子との番組はとても楽しかった。
当時私は結構暇だったので、FXをやっていた。円高や円安を予測してお金を投資するものだ。レバレッジが利くので、少ない元手で大きな資金を動かせる。1ドルが100円を割り、90円台、80円台、70円台へと進む、歴史的な円高の時代である。最初調子がよかったものだから金銭感覚がおかしくなっていた。モニターを4台並べて一時も目が離せない。今までやっていたまともな仕事をする気は無くなっていく。スピ子に相談すると「やめたほうがいいよ。今やる時期じゃない。」と軽めに一喝されたが、もう止まらない。結果、500万円を溶かして、私のFX人生は終わった。あの「やめな」という一言がなかったら、どうなっていたことだろうか。素直に諦められただろうか。スピ子の一言で、自己破産の道へ歩み出しそうになったのを、すんでのところで引き返すことができた。
スピ子は会う度に「左側のオーラが澱んでるね」とか「最近運気が落ちてるはずだから」と言っては、ちょっとしたアドバイスをしてくれた。会うのは月に2〜3回、ラジオ番組の収録で。収録後にご飯を食べに行ってご馳走する。がっつり占ってもらったことは、1度2度あったかなぁという程度で、会う度に軽く占ってもらっていたので、そのお礼に、食事や旅行へ招待した。
スピ子と出会ってから1年後。2010年の話。私は貧困の最中に居た。FXで失敗し、スピ子との番組以外、すべての仕事がなくなってしまったのだから、そうなる。事務所の家賃や駐車場など月20万円かかっていたものは解約し、BMWは売却した。手元に300万円程度の現金が残った。
よし、これでFX、最後の勝負。というギャンブラー魂は、私にはない。
私は2000年初頭から動画サイトのShowTimeやGyaOで主にバラエティ番組のコンテンツ制作をしていた。ちょうど時代は、一眼レフで動画撮影するのが主流になり始め、照明はLEDで手軽になった。編集は高性能なパソコン1台あれば、編集スタジオに入る必要はない。最少のスタッフで制作できるコンテンツ、そして趣味と実益を兼ねて、グラビアアイドルの撮影に投資することにした。投資というか、「グラビアのコンテンツなら、ひとりで全部できるじゃん!」と思いついた。
いよいよ撮影と編集が始まった数日後、2011年3月11日、唐突に東日本大震災が起きた。夕方の再放送ドラマ「3年B組金八先生」を観ている最中だった。2週間ほどまったく仕事が入っていなかった私は、一日中テレビのニュースを観ていた。津波が様々な物を飲み込んでいく様を、ただ虚無の心境で観ていた。
ほんの数日で、起きられなくなった。体が動かない。激しいめまいで立って歩くこともできない。家の中を四つん這いで這いずり回るしかない。仕事をしたくてもパソコンのマウスは手が震えて持てない。ひどく汗が出る。3月だがTシャツとハーフパンツでも暑い。しかし手指と足指の先は、ちぎれるほど冷たい。夜は眠れない。眠れないので強い酒を浴びるように飲んで、気絶するように寝た。日中は何もやる気が出ない。この生活を続けたら人生終わると思ったので、いくつかの病院へ行き、薬を処方してもらった。男性機能も不全、つまりEDになってしまったので、男性ホルモンのテストステロンを毎日陰嚢に塗り、ED薬のシアリスを飲んで男のプライドを保った。しかし、常にアルコールを飲んでいないと、自分自身が保てない。まぁまぁのアルコール依存症だ。
「それは男の更年期障害だよ」
仕事の大先輩ズラさんに言われた。
「こう見えて、ワシもなったことあるから、わかんねん」
デリカシーを胎内に忘れてきたようなキャラクターのズラさんだが、一部上場企業を始め、大企業の役員を数々務め上げてきたやり手の関西人だ。「繊細でデリケートな部分もある人なんだ」と、ちょっとホッとして、「肩の力を抜いてゆっくりやろう」と前を向くことができた。
こうして私の2011年は始まった。仕事は月2〜3回のスピ子のラジオ収録と、映像生配信番組「ニコジョッキー」の構成・演出が週に何本か。空いた時間はグラビア撮影とその編集にあてた。1990年代後半からアイドルとの仕事が多かったので、キャスティングは苦労せず、ヘアメイクとカメラアシスタントと、タレントとマネージャー。基本5人で撮影。スタイリストは私が兼務した。
あとから気づいたのだが、私は女の子を着せ替え人形のように扱うのが大好きだったようだ。
着せ替えフェチ。
可能な範囲でエロく可愛く撮ることに喜びを感じる変態だった。そして、そんな変態の欲求を満たすように、着エロがブームとなり、ブラジルビキニが流行り、京都の高級オーダーメード水着ショップ「アクアドレス」や、コスプレイヤーのうしじまいい肉プロデュースの「プレデターラット」など、待ってました!とばかりのハイクオリティー&エロティックデザインの衣装が、ネットで手軽に買えるように流通し始めた。
私はグラビア撮影海外ロケのプロデューサーであり、監督でもあったので、予算も規模も内容も、リスクは負うが自分のさじ加減で決められた。そんなわけで、カメラアシスタントとスタイリストはロケに連れて行かず、自分で3人分の仕事をこなし、その代わりに、スピ子とそのカレシをスタッフとして連れて行った。スタッフと言っても、カレシはスピ子のマネージャーのような立ち位置で、スピ子はオーラや運気を見てアドバイスをくれる不思議な人、という立場。夕食はみんなで一緒に楽しく食べるが、あとは自由行動だった。現地のコーディネーターと上手に付き合って、美味しい夕食をセッティングするのがメインのお仕事。ただ本気にならざるを得ないお仕事もたまにあった。
まずロケの前に、被写体となるグラビアアイドルを決める。これに関しては私の独断だが、被写体として魅力的か、楽しく仕事ができるか、という2点が重要なポイントだ。なので、都内のスタジオでカメラテストをする。候補を何人かに絞った後、スピ子チェックが入る。グラビアアイドルは年齢詐称している子も多いので、あらかじめパスポートのコピーをもらっておく。そしてスピ子の惑星術占い(仮)により、私との相性、ロケ地の方角の良し悪し、売れる可能性を見極めていく。ただ私のいち推しの子を切り捨てられた時のことは、今でも納得いっていない。
「この子は反社との付き合いがあるからダメ」と言う。
「いや、それはないでしょう。本人、オタク系、コスプレ系だよ。」
「今年のアメ横商店会の新年会に呼ばれて行ったんだけど、この子がいてね。見ちゃったんだよね。うん、ヤバいね。この子は絶対ダメ! 飛行機落ちるよ」
景気は良さそうだが、下町の渋い新年会に呼ばれていることに驚いた。が、スピ子はたまに話を盛る癖がある。100歩譲ってアメ横新年会に行ったとして、本当にこの子がいたのか? スピ子は占いでも、しばしば話を盛りがちになる。毎週収録で会うので同じような話を何度も聞くこともあるのだが、聞く度に盛られていく。今回の件にしても、いくら言っても真相はわからないので、ここは私が引き下がることにした。飛行機落ちるのは、イヤだもんね。
いち推しちゃんとはそれっきりになってしまったが、彼女は今もグラビア活動を頑張っているようだ。
もうひとり思い出した。スピ子が「私の元マネージャー湯乃花さんの事務所に巨乳ちゃんが入ったんだって。この子いいと思うよ」と言うので、カメラテストを行なうことにした。車に同乗してスタジオに向かっていると、マネージャーの湯乃花さんが「この子きのう胸にアザができちゃったみたいで、撮影に支障が出ちゃうんじゃないかと心配なんですが…」と言う。「コンシーラーで隠すか、水着で工夫してみましょうか? ねぇちょっと胸のアザ見せて」と後部座席を振り向いて絶句した。ガッツリ両胸を見せてくれたことにではなく、想像を遥かに超える大きなアザに、である。「今日の撮影は無理だ…」なんせ両胸いっぱいにアザが広がっている。「え?どうやったらこんなアザが?」と尋ねるしかない。
「ちょっと酔っ払った男の人にギューっと鷲掴みされて」
「こりゃまたずいぶん力いっぱいやられたね」
「はい、痛かったです」
「彼氏?」
「いえ、違います」
「誰?」
「お客さんです」
「お客さん? 仕事何してるの?」
「ソープです」
あぁ、ソープね。それじゃあ仕方ない。って、いや、ダメでしょ? 女の子傷つけちゃ。
こんなことがありながらも、彼女から溢れ出る強烈なエロスとスピ子の強い推しに負け、鷲掴み巨乳ちゃんをグアムで撮影した。撮影は無事終わり、DVDの編集も終わりを迎えた頃、鷲掴み巨乳ちゃんのヌードDVDが、私が作っている水着DVDの発売日の1週間前にリリースされることがアナウンスされた。これは業界のルール違反である。私はブチギレて湯乃花マネージャーに電話した。レストランに話し合いの場を設けると、湯乃花マネージャーとともに、そっち系の方がふたり登場した。私は怯まず強気で向かったが、徐々に「事をこれ以上荒立てないように…」という思いが強くなり、日和って日和って着地点を見つけて和解した。
心の中で叫んだ。
「スピ子〜!反社なのはこっちだよ~!」
予言とお祓いと海外ロケ
スピ子とはずいぶんいろんな海外ロケへ行った。
2013年4月サイパン、2014年2月サイパン、2014年4月バリ島、2014年12月グアム、2015年3月サイパン。
2013年、サイパンでの撮影。アイドルは2名。ひとりは出発前からとても心を病んでいた。彼女はこれが最後のDVD撮影と決めて臨んでいた。その病みドルの芸名は、スピ子が命名していたので、多少の責任は感じていたのかもしれない。
ビーチ撮影の朝、ホテルのロビーに現れた病みドルは、スピ子の証言によると、非常に憔悴していたらしい。忘れもしないラダービーチでの撮影中、カメラが故障した。ビーチでの撮影は、潮風や波飛沫でカメラに不具合が出ることはあるが、その時はまだ、洞窟のような場所での撮影だった。波も風も届かない。せいぜい砂。機材が壊れるわけがない。それが壊れた。サブ機で撮影はできたものの、とてつもない徒労感を感じていた。すっかりやめていたタバコを吸わずにいられなくなり、ビールを飲まないと精神が保てない。
夕方、撮影から帰ってきた私たちは、ホテルのロビーでスピ子とすれ違った。スピ子は「あれ?」と直感したという。すぐさま私の部屋に来たスピ子は「あぁ〜もらっちゃったね〜」と難しい顔。「カメラ撮ってたら壊れたんだよ」と言うと、「やっぱり」。「さっきロビーで見た病みドルちゃん、めっちゃ明るくて、憑き物取れてたよ。カメラとヒデに行っちゃったね」。
私はスピ子に本格的な除霊をしてもらい、なんとかロケをやり遂げることはできたが、カメラは残念ながら除霊で治ることはなかった。ただ、さすがにスピ子が芸名を付けただけのことはあったのか、DVDは空前の大ヒットを記録した。
2015年3月、グラビアロケでサイパンへ行く少し前のこと。スピ子は「次の海外ロケ、ヒデにとって最後になるよ」と唐突に言いだした。「いやいや、全然続けていく気あるんだけど」とサラッとスルーしてみたものの、その言葉はずっと頭の片隅に残っていた。
あれから今、もう9年以上が経過している。そろそろ答え合わせしてもいいだろう。仕事で海外へは、行っていない。国内での水着撮影さえも、確かやっていない。完全燃焼しちゃったのだろうか。スピ子の惑星術占い(仮)の勝利。
私はスピ子に全幅の信頼を置いていた。オーラを見るような霊視も、手相や統計学に基づく占いも、的中率が並外れているのだ。つまり、スピ子の言うことに間違いはない。私は心底信じていたし、スピ子は私のことを心底慕ってくれていた。
ラジオ番組の収録にはいろいろなゲストがやってくる。ミュージシャン、歌手、俳優、モデル、タレント、芸人、スポーツ選手に文化人。もちろん、アイドルも。国民的アイドルグループを擁するこんにちはプロジェクト(仮)もよく番組に来てくれたのだが、ある日マネージャーから「今後のゲスト出演は遠慮させてもらいます」と連絡が来た。なんでも、ゲストに出た子がみな、スピ子に強く影響されてしまい、「スピ子さんはこう言ってたんですけど」と、事務所の方針やマネージャーの指示に反抗するようになってしまったんだとか。信じたくなる気持ちは痛いほどよくわかる。でも正直、出演NGを食らったこっちも迷惑なんですけど。
ある日のラジオ収録、もうひとつの国民的アイドルグループのメンバーが番組にゲストでやってきた。でも私の「おはようございます。よろしくお願いします。」の挨拶に対して返事がない。「おや?」 いつも通り、ディレクターの私が台本を前に説明する。返事がない。「おや?」 どこか、なにか、病みを感じる。
「スピ子ちゃん、今日のゲスト、ヤバいわ」と言うと、
「大丈夫。3分で泣かせてみせる」
と男前なセリフを口にした後、おそらく多分本当に番組開始3分で、ゲストの瞳は涙で溢れていた。本当に泣かせてみせた。誰も踏み込むことができなかったゲストの心の扉を何枚も開けていき、誰にもわかってもらえなかった本当の気持ちをギュッと掴んだ。スピ子にしかできない芸当だ。その後しばらくして、そのゲストは芸能界を引退した。キャッチフレーズは「今日も、明日も、明後日もキラキラパワー全開」だった。
ラジオ収録はキラキラパワーがなくなっていた時の仕事だったのだろう。テレビドラマでは主演を張って頑張っていた。でも、心の限界が来ていたのに違いない。この時の占いが、少しでもいいアドバイスになっていたら、と願うしかない。
2014年7月3日付けの本人のブログで、芸能界から引退する旨が発表された。「突然のご報告となり、ご迷惑とご心配をおかけすることになってしまいごめんなさい」としたうえで、引退の理由を「新たな夢や目標が出来て今回の様な決断をさせて頂きました」と表明した。
スピ子と出会う前と後
私は2003年に最初の結婚をして、2004年に離婚している。元気で可愛い息子を授かったが、母親が養育することになった。マネー・バランスや養育環境を考えても、母親の圧勝だったので、これは致し方ないと諦めた。
そもそも1986年に上京し、風呂なし和式便所6畳一間のしいのき荘から、池袋にある立教大学のキャンパスに通いながら、「いつか山手線の内側に住んでやる!」という夢を抱いてから16年。意外と早く山手線の内側に中古マンションを買うことができ、遂に引っ越したその日の晩、道路を挟んだ向かいの豪邸の玄関先に立ち、タバコを吸いながら我がマンションを眺めて「遂に買ったぜ」と悦に入っていた時、「キャッ!」という女性の叫び声がした。その女性は、家に帰ってきてホッとしたところ、自分の家の玄関先に不審な男がいたので予期せず驚いたのだ。そりゃそうだ。他人の家の玄関先でタバコを吸う私は不審者だ。必死に説明した。
「今日引っ越してきて、今ちょうどひと息ついて外に出てタバコを吸っていて・・・」
「あ、今朝引越ししてましたよね。1階の目の前なんですね」
「そうなんです、お向かいさんですね。これからよろしくお願いします。なんならちょっとお部屋見て行きますか?」
「え?いいんですか?お邪魔しちゃって」
なんて風にいきなりいい感じになって、そのままエッチ!って、こら! そんなアホなこと、あるわけ・・・あるんかい!と、さんまさん風にボケツッコミしたくなる出会いから、急展開で恋愛・結婚へと突き進んでしまった。
私が道路に面した窓を開けると、向かいの家の3階の窓から、彼女が手を振る。大きな声を出せば聞こえる距離だが、携帯電話で話しながら、お互いにっこり微笑む。テレビドラマなら間違いなくボツになる脚本に沿って、ふたりは愛を育んでいった。
出会いから数日後、彼女のお家にご挨拶に行くと、お父様は1年ほど前にお亡くなりになったそうで、お母様とお姉様が出迎えてくれた。お父様はかつて、ニッポン放送の社員で「オールナイトニッポン」のディレクターをやられていたそうだ。そうだ・・・というか、お父様の名前は聞いたことがあった。ちなみに私は、大学1年から8年間「オールナイトニッポン」のADをやっていた。「ビートたけしのオールナイトニッポン」の最後のADだった。何もかも運命のように感じてしまう。いや、間違いなく運命だ!
そして結婚したが、1年で離婚。運命とはそんなものだ。
それでも、もう一度結婚して、幸せな家庭を築きたいという思いは強かった。
最初の離婚の原因。話しておいた方がいいだろうか。もう時効だろう。離婚の原因は、もちろんひとつだけではなく、いろいろな要因が絡み合っているのだが、一番ショックだったのは「もう別れた」と言っていた男と、私との結婚生活と並行して付き合っていたことだ。その男はバンドのベーシストで、確か「ミスターでかいぞ」みたいなバンド名だったと思う。世界的に超有名な天才だったらしい。そんな話をスピ子にしたら、「ヒデさぁ、ビリーって知ってる? ずいぶん前、成り行きでバーで占ったんだけど、隣に居た女がめっちゃ私のこと睨んできてさぁ。金髪で日焼けしてて、アンジェリーナ・ジョリーか!みたいな、ヴィクトリア・ベッカムか!みたいな女」。
すいません。それ、私の前の嫁です。
私とスピ子が出会う前に、とんでもないミラクルが起こっていた。お互いのエピソードの点と点が線で結ばれたら、それは運命。ますます仲良くなるってもんだ。スピ子は面白がってか、私の心情を慮ってか、何人か素敵な女性を紹介してくれた。もちろん占いの相性を見てマッチングしてくれたのだろうが、3ヶ月ほど楽しく付き合って別れるパターンが多かった。それはきっと私にも原因がある。
表参道にある大手モデル事務所に所属する女の子と何度かデートを重ねた。「えっ?」っとちょっと引くくらいものすごく着飾ってくるので、その意気込みと綺麗さには「ありがとう」の気持ちでいっぱいだったが、そのプレッシャーからか更年期障害のホットフラッシュが全開になってしまい、私は汗だくでデートに臨み、彼女はドレッシーに涼やかにデートを楽しむという、コントのようなカップル状態になってしまった。さらに口の周りの肌がボロボロに荒れていたので軟膏を塗ったのだが、鏡の向こうに見えるのは、ちょっとしたリップクリームお化け。私の世代的にはオバQだ。勝ち目はない。いや、ちょうどよく汗で馴染んで気づかれないかもしれない。敗色濃厚ながらもディナーの後は我が家に招き入れ、肌を交えたのち、タクシーチケットで送るという上品さで、せめてもの抵抗をしてみせた。
スピ子は占い師である。
先祖代々より脈々と受け継がれてきた神社の家系に生まれ育ち、圧倒的な霊感でオーラや悪霊をも自在に操る。そして、占星術や東洋気学、手相、血液型、姓名判断、統計学、心理学を総合し導き出した運命鑑定学「惑星術(仮)」の開祖となった。
結局、占いとは統計学である。ゆえに私に「どうだった?」と聞いてくる。
「下着はTバックだったよ。水星はほぼTだよね」
「あとは?」
「緩かった。だからなかなかイケなかった。飲み過ぎたかな?」
「(爆笑)彼女、ヒデちゃん長すぎって呆れてたよ!」
(※水星というのは、スピ子の惑星術占い(仮)の運命数により導かれた星のことである。)
このように、いろいろな人から話を聞いて統計をとっているのだ。
私の最初の妻のこともいろいろ聞いてきた。
「最初の奥さん水星でしょ。下着どうだった?」
「毎日エロいTバックだった」
「やっぱり。エッチは?」
「毎日だったね。しかも毎朝。ピル飲んでるから大丈夫って言ってたから信じたのに」
「オレオレ詐欺じゃなくて、中折れ詐欺、いや、中出し詐欺ね」
ただ、私に聞くだけではなく、面白い話もしてくれるので、大好きになってしまう。
「あの別の水星のモデルの子、ローター(スピ子のスタッフ)とホテル行ったって!」
「マジで? オレも行きたいわ」
「水星だからもちろんTバック。中出し」
「水星は欲しがり屋さんだね」
「ローターがシャワー浴びないの?」って聞いたんだって。
「ま、普通聞くわな。中出ししてんだもん」
「このままパンティー履いて、歩いててドロっと出てくる感じが好きなの、だって!」
「太もも伝う系・・・惚れた(爆笑)」
占いでマッチングされた相手とお見合いしてみるか
2017年12月クリスマスが終わった頃、スピ子から電話があった。
この年のクリスマス、私は、いい感じにブサカワなナースとデートを楽しんだのだが、クリスマスディナーの際、ルイヴィトンのアクセサリーをプレゼントしたにもかかわらず、「プラダに行きたい」と言われて高額商品を買わされた。ルイヴィトンにプラダって、転売でもする気か?と、なんとなく不穏な空気を感じ取っていた私に「私の行きつけのバーが渋谷の円山町にあるから、飲んでからホテル行かない?」と彼女は誘ってきた。
確かにここ表参道にラブホテルはない。円山町か。賢明な判断だ。よし、行こう。
連れていかれたバーは、オシャレ風なモノトーン調でまとめられたカラオケバーだった。LGBTQだというバーテンダーがおしゃべりで胡散臭かったが、ブサカワナースのお友達だというので、我慢した。バーテンに勧められるまま私はシャンパンをあけていい気分になった。で、そろそろホテルへ…と思っていた頃、不本意ながら酩酊状態になってしまったようだ。もしかしたら、お酒に薬を盛られたのかもしれない。目が覚めると、ブサカワナースの姿はなく、ただ私は、十数万円の領収書を右手に握りしめていた。ボッタクリバーの手口だ。
そんなことがあったものだから、「もう恋なんてしない」と呟きながら、寒い冬をやり過ごしていた。
こうして2017年クリスマスが終わった頃に鳴った、スピ子から電話。
「今ここに海王星の女の子がいるんだけど、この子救えるのって、天王星しかいないんだよね。で、天王星誰かいい人いないかって探してたら、いた! ヒデちゃんだわ!」
(※海王星、天王星というのは、スピ子の惑星術占いの運命数により導かれた惑星のことである。)
私はタトゥーを入れている女性とボディピアスをしている女性以外はウェルカムだったので、それだけを確認して、OKを出した。
「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」と心に誓って。
そして彼女はショートヘアだという。ショートヘアは私にとっては好感度50%増しである。
「是非お会いしましょう」
スピ子曰く「2月2日までは会ってはいけません。それまではメールで愛を育むこと」とのことだった。
1月中は毎日メールでやり取りを繰り返した。LINEではなくスマホのメールである。そこそこ長文のやり取りになるので、礼儀や性格やセンスがある程度わかる。相性や好き嫌いも分かり合える。このメールのやり取りの1ヶ月間、お互いボロは出なかった。むしろいい感情しか湧いてこなかった。それを今見返してみると、『こっぱずかしい』という一言に尽きる。
ただ普通と違うのは、お互いバツイチ子持ちだということ。しかも子どもを元パートナーに取られているところまで一緒。でもこのくらいは、まぁまぁあることかもしれない。
サイコとのメールは毎日続き、メールが届くのが待ち遠しくて仕方がなかった。そんな折、スピ子からメールが来た。
電話での会話が解禁された。
電話で話すと、たまらなく声がかわいい。癒される。私はもう完全に惚れている。ただ、忘れてはならない。一番普通ではないこと。それは今、サイコは、彼氏と同棲中なのだ。同棲中の彼氏の家に置いている荷物をまとめて、そっくりそのまま新しい彼氏の家に持って来ようとしている。実家を出てから一人暮らしを一度もしたことがないというヤドカリ女である。そんな女と本気で付き合って同棲する気なのか?私は?正気か?本当にそれでいいのか?
私に迷いは一切なかった。無駄な家賃は払わないコスパのいい女なのだ。今の彼氏は結婚する気がないらしい。これ以上付き合うのは時間の無駄だ。アラフォー&アラフィフというお互いの年齢を考えても、時間のロスは避けたい。メールのやり取りは十分満足のいくものだった。早く会ってお互いを確かめ合いたい。身体の相性が問題なければ、1年くらいじっくり同棲生活を送ってお互いを見極め、結婚で失敗する可能性を極限まで消してから、できちゃった結婚をしたい。子どもが欲しいので、不妊治療生活を送る可能性も完全に消しておきたい。
完全なる失敗となった私の最初の結婚は、劇的な出会いに舞い上がって、同棲して様子を見ることもないまま、できちゃった結婚したものだったのだ。
よし、準備は整った。万全な体勢で初対面の場を迎えられそうだ。
第3章へつづく。