バカは風邪をひかないが…
サイコの誕生日は10月15日、結婚記念日は11月1日、私の誕生日は12月10日、みーとくんの誕生日は1月5日、初対面記念日は2月2日、 同棲記念日は2月4日。で、クリスマスにお正月とバレンタインデーを加えても、10月から2月に記念日が集中している。アニバーサリーは諸刃の剣で、信じられない喜びをもたらすこともあれば、最悪の局面に誘うこともある。したがって、3月から9月は比較的平穏な毎日が訪れる予定である。
平穏と言えば平穏な毎日だが、スピ子からは毎日苦情メールが届く。「そんなに嫌ならクビにすればいいのに…」と私は思うのだが、スピ子の頭の中にその選択肢はないようだ。私はHSPな上に更年期障害なので、責任を追及されようものなら、まずはホットフラッシュ発動! 滝のような汗が顔を流れ、Tシャツが汗でべたつく。続いて眩暈防御! 椅子に座るか、ソファに横たわるか、倒れて頭を打たないように注意する。とにかく、自分が悪く言われるとネガティブ志向になってしまうので、自分が変な気を起こさないように細心の注意を払わなくてはならない。こんな症状が現れたのは2011年3月11日の東日本大震災からなのだが、一向に治る気配はない。
とはいえスピ子は、頼りになる存在だ。私の悩みに寄り添い、危険を回避し、より良いと思われる方向へ導いてくれる。

2021年6月5日(土)
3週間会ってないので、さすがにみーとに忘れられると思い、そろそろ関係を修復しようと。
一度会って話しあおうと言ったら「トラウマが消えずパニックになりそうだからまだ待って」と言うので、あさっての月曜、サイコがお手伝いの間、みーとの子守りをすることになった。
この2〜3週間いろいろ考えて、サイコにはムカついたりイラつくことがいっぱいだけど、別に嫌いな気持ちはないな…と思い、あらためて幸せな家庭を築いていけるよう頑張ろうと思った次第です。
一緒に住んでると、ケンカしてもエッチして仲直りってできるけど、別居してるとそれができないからケンカが長引くね
ちなみに、エッチしても仲直りできるが、チョメチョメしても仲直りできるし、ニャンニャンしても仲直りできる。
非常識すぎて、、多分一緒にいたらすでに離婚してる、、絶対に


マジか
殺してるかも笑笑
ぶん殴ってる絶対に、、
自己中すぎて
ひでのこと
なんも考えてないから

念のため確認しておくと、私とサイコを「相性抜群」だと言って結び付け、結婚・出産へと導いたのはスピ子である。スピ子はテレビでも人気の占い師だ。結婚して渋谷区で一緒に住んでいたら、私はサイコのことを殺してしまっている。悲惨な末路だ。それを回避するために、スピ子はサイコを台東区に導いてくれたのだ。ありがたい。感謝しかない。
YouTube事件で完全に頭がおかしくなったサイコと、鬱が悪化する私。そして、悪化していたのは、それだけでななかった。

2021年6月7日(月)
稲葉家は今、貧困に向かっています。申し訳ないが、来月からしばらくの間、生活費を50%カットでやってもらいたい。
みーとチャンネルを続けると、おそらく夫婦仲は悪くなるだろう。
しかし、みーとチャンネルをやってもやらなくても、生活費は底をつく。みーとチャンネルには人生大逆転するポテンシャルがあると思う。それを信じて頑張りたい。
どっちにしても夫婦関係は破綻する可能性が高い。
みーとチャンネルは成功の可能性を秘めているが、みーととパパとママの関係が見えてこない。
では明日 おやすみ。
稲葉家は今、貧困に向かっています。申し訳ないが、来月からしばらくの間、生活費を50%カットでやってもらいたい。
実はそのせいで精神的に不安定になり、ごはんを吐いてしまい10キロ痩せてこじきみたいな生活をしています。ミートにはあげてます。お昼も食べられず、先生の差し入れのみをありがたく頂き、秀ちゃんにコンビニで飲み物買うなと言われたからきちんと守ってるからね。52キロだったのに41.3キロに痩せて、みんなにヤバいと言われてしまってます。ごめんなさい。私は食べてはいけない。水しか飲んだらいけないのに、秀ちゃんが大変なのに私が生きていて本当にごめんなさい。
私は秀ちゃんが大好きだからずっと一緒にいたい
私がばかだから言わないからきづつけた
先生にバカか!全部話せと言われて気がついた
サイコも言わない言えないで間違えていたから、秀ちゃんもわかってほしい
私がいなくてもなりたつからどうか
秀ちゃんミートチャンネルにして下さい。
頑張って伝えたけど
震えが止まらない、、帰れないよ、、大好きだよごめんなさい本当に秀に言われて私はいない方がいいとわかってるでも私が生きててごめんなさい秀ちゃんを愛してるからごめんなさい


サイコ、ツラかったね。
長文書いてくれてありがとう。
今までサイコの本心や事情がわからなかったので、イライラしてひどいことを言ってしまいました。
ごめんなさい。
とにかく早く家に帰ってきて。みーとと一緒に待ってるよ。
こんな返事はしてみたものの、“乞食みたいな生活をしている”というのは、大袈裟すぎる。なぜなら、サイコとみーとくんが暮らす台東区のマンションの家賃・管理費・水道光熱費・スマホ代・生協代・オムツ等養育費・家電・消耗品は、すべて私が出していて、お小遣いとして渡している10万円とスピ子の給料20万円を足して30万円がサイコの毎月のお小遣いである。プラス家族カードも持っているので、タクシーやらデパートやらで散財している。その30万円が25万円になることで、拒食症になって10キロ痩せたんだそうだ。私の眼には、体重はむしろ微増に映る。ハグしたところで、頑丈な骨格と筋肉と贅肉に覆われている感触は変わらない。でも「ずいぶん痩せたなぁ」と言っておくのが、紳士の対応だろう。
2021年6月9日(水)
熱がでました。
38度です。
お腹も痛くて、、、
コロナか
ストレスの急性虫垂炎か、

「バカは風邪をひかない」と言うが、サイコは仮病を使う。明らかな嘘なので、私はたまに荒い言葉を吐くことがある。

2021年6月26日(土)
だいたい、オレもみーとも健康なのに、自分だけコロナ2回、虫垂炎、発熱、おかしくない? ほんとに予防してんの? 自分のこと心配して優しくしてくれないって言うけど、家ではすごく病気予防してるんだから、外でもらってきたに決まってるじゃん。そういう警戒心のなさにひくんだわ。
金曜日に「週末は来なくていいでーす」という能天気なLINEが来て、「なんだその“バイト来なくていいです”的な言い方!」と腹が立ち、「サイコとみーとに会いに行きたいんだよ!なんでその気持ちがわからないだ!」と悲しくなった。
だって手伝ってもらいたいことないから

やはり私はバイトの子なのか? それともパートのおじさんなのか?
私は大怪我をする
サイコはよく仮病を使うが、私はガチで、数年に一度、シャレにならない病気や怪我をする。
2021年7月7日水曜日。七夕の夕方、といってもまだ明るい時間。赤坂見附から三宅坂へ向かう最高裁判所の裏の交差点。国道246号(青山通り)の歩道を自転車で走っていたが、横断歩道にいる歩行者が多かったので、車道に出ようと軽くハンドルを切った。下り坂だったので、時速30km/hくらいは出ていたと思う。歩道から車道に出た瞬間、あの数センチの段差でよろけた。事故の瞬間、スローモーションのように見えるとよく言うが、年齢のせいなのか、私には一瞬だった。頭をかばう余裕もなければ、受け身どころではなかった。見事な単独事故である。不幸中の幸いだったのは、片側4車線の交通量がとんでもなく多い国道246号で、後続車にハネられなかったことことだ。あと、自転車保険に入っていたこと。不幸中の不幸(?)だったのは、ヘルメットをかぶっていなかったことだ。コンパクトな電動折り畳み自転車だったので、たいしてスピードは出ないと油断していた。だが当然、下り坂ではスピードが出る。そして、ヘルメットをかぶっていないとどんな目に遭うのか、このあと痛いほど思い知らされることになる。

気が付くと救急車に乗せられ横たわっていた。救急隊員の声がかすかに聞こえる。交差点にいた優しい皆様が救急車を呼んでくれたのだ。事態は把握した。目を開くと、私の自転車が道路脇で寂しそうにしていたので、「ちょっとすいません」と言って、自転車をガードレールにチェーンロックで括り付けた。なんとか歩けるし、正常な判断もできる。あぁよかった。でも、待てよ。私は今、半蔵門にあるFMラジオ局に完パケの搬入に向かっていたのだ。最高裁判所のちょっと先が、その放送局だ。自転車であと1分。このまま救急車に乗せられ病院に向かって、入院なんてことになってしまったらどうしよう。放送が飛ぶ。ヤバい!放送事故だ。そんなことを考えながら、頭痛や吐き気や身体の痛みに負けて、救急車に乗り込んだ。「ご家族は?」と聞かれるので、スマホでサイコの番号を出して隊員に手渡す。しかし案の定、サイコは電話に出ない。いつものことである。

健気なLINEを送ってくれる。コロナ禍なので、面会は出来ない。必要なものを持ってきてもらうだけ。それでもサイコがいるおかげで、ずいぶん助かった。モバイルWi-Fiを持ってきてもらえたので、ラジオ番組の完パケデータをスタッフに送って、無事搬入することができた。渋谷区の家にいるチワワのメイちゃんとライトくんを、ご近所に預かってもらうこともできた。ありがとう、サイコ。
後日談になるが、虎の門病院から連絡を受けたサイコは、特に動揺する様子も見せず、スピ子にこう言ったそうだ。
「なんで私が行かなくちゃいけないんですかね。面倒くさい」
私の「ありがとう」を返してくれ! 世の中の夫婦って、こんな感じなんですか? 心配して駆けつけるのは、テレビドラマの中だけの話なんですか?
HCU(高度治療室)に入っていた私は、上半身管だらけで精密機器に繋がれており、診断は、頭蓋骨骨折、脳挫傷、くも膜下出血という、字ヅラを見るとどうにも助かりそうにない、なんとも大袈裟な怪我だった。最初の2日間は頭痛や吐き気があったが、3日目にはそれもおさまり、外傷も大したことはなく、4日目には「明日退院していいです」と言われた。ただ、気になることがあった。病院食が薄味なのはわかっていたが、それにしても味がしない。「まぁこんなもんか…」と思いながら、2食目、3食目を食べたが、一向に味がしない。味がしないと体が拒絶するのか、食べ物が喉を通ろうとしない。私は食べることを一旦諦めた。

気の利いたトイレには便座クリーナーがある。私がこの世で最も好きな香りは、便座クリーナーのcalmicである。記者から「あなたは何を着て寝ているのですか?」という質問を受けたマリリン・モンローは「シャネルの5番よ」と答えたが、私が記者から「あなたのウンコの匂いはなんですか?」と質問されたら「calmicだ」と答えるだろう。それほど私はcalmicを愛している。そして、私が入院する虎の門病院のトイレには、calmicが標準装備されていた。さすが、芸能人や著名人が利用する一流病院だ。WORLD’s BEST HOSPITAL 2023では、国内Top10に選ばれている超一流病院だ。私を虎の門病院に運んでくれた救急車にお礼を言いたい。「さぁ、calmicを満喫するか」と、ボタンをプッシュすると、美しい飛沫と共に、軽やかで麗しい香りが……あれ?……厳かで芳醇な香りが……あれ?……しない。どういうことだ? トイレットペーパーに3プッシュして鼻で嗅ぐ。しない。匂いがしない。まったくしない。「やさしさに包まれたなら」とユーミンは歌ったが、「無味無臭に包まれたなら」と未来を想像しながら私は退院した。

退院後に最初に食べたのは、すき家の牛丼だった。食べ慣れた牛丼なら、さすがに味がしないわけはないだろう。牛丼(並)に生卵をかけ、七味唐辛子を振り、紅しょうがを乗せてひと口食べた。なぜだ!味がしない…。紅しょうがを山盛り乗せて食べてみた。歯ごたえはいいが、味はしない。激辛フードを涼しい顔して食べる人って、こういう感覚なのだろうか。歯ごたえ、舌触り、喉越しの感触はある。だが、味はしない。新型コロナの後遺症で味覚障害に苦しんでいる人も、こんな感覚なのだろうか。これからの人生、“食の楽しみ”なしで過ごしていくのか。暗澹たる気持ちになる。人生100年時代なので、100歳まで生きるとして、もう人生の折り返し地点は過ぎている。これはあれだ。コップに半分水が入っている。「もう半分しかない」と考えるか「まだ半分もある」と考えるか。「人生の半分以上も食を楽しんできた!」と思えばいいじゃないか! ポジティブ・シンキング!
虎の門病院へは週一で通院した。いろいろ検査した結果、嗅覚はゼロ。嗅覚脱失と診断された。頭の打ちどころが悪く、脳神経が切断されているので外科手術では治らないということで、耳鼻咽喉科でいろんな薬や漢方も試してみたが、効果はまったくなかった。味覚は徐々に回復してきた。最初、甘いかしょっぱいかの区別がつくようになったが、めちゃくちゃ甘く感じたり、めちゃくちゃしょっぱく感じたりする。「大丈夫か?この店」なんて思いながら、「あぁ、自分の味覚がおかしいんだった」とガッカリする。これまでの人生で2人だけ「味覚音痴なんです」という男がいた。マズくて食えたもんじゃない焦げたシチューを「おいしいです」と言って平気で食べたり、目の前に並んだ何種類かの弁当を見て「お腹がふくれればどれでもいいです」と興味を示さなかったり、今の自分はそんな感じか、もっと酷いのだろう。ただ、味覚とは不思議なもので、歯ごたえ、舌触り、喉越しの感触と視覚を脳が繋ぎ合わせて、味を再現してくれるようになってきた。食べたことのあるものは、脳が味を思い出してくれるようで、50%くらいは味覚が回復した。ただ、嗅覚を必要とする出汁や香草などの味はまったくわからない。大葉、みょうが、パクチー、ニンニク、生姜、わさび、ゆず、すだち、レモン、ごま油、バジル、パセリ、ハーブ、シイタケ、マツタケなどなど。“柚子香るお出汁の風味”なんて聞いたら、今までならよだれが垂れそうになっていたのに、今はただ、ガッカリする。だってそれは、無味無臭。酸味もよくわからない。試しにお酢をコップ一杯一気飲みしてみたが、むせなかった。「お酢を一気飲みしてみた!」というYouTube動画を出したいところだが、普通に飲めてしまうのでおもしろくもなんともないだろう。私にとってお酢は、うっすら味のついた少し黄色い水でしかないのだから。ということは、うっすら味のついた少し黄色い水なら何でも飲めるのではないか?と思ったが、まだ挑戦はしていない。昔、飲尿療法というのが流行ったことを思い出した。興味ないけど。
2024年1月から、永野芽郁主演のテレビドラマ『君が心をくれたから』が放送された。永野芽郁演じる主人公の逢原雨が、過去のトラウマから自信を持てず、人に心を開けない日々を送る中、高校時代に唯一心を通わせた朝野太陽(山田裕貴)と再会するも、太陽が事故に遭い、瀕死の状態になってしまうことから物語が始まる。雨の前に現れた“あの世からの案内人”は、「雨が五感を差し出すなら、太陽を助ける」という奇跡を提案する。味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚と、雨はひとつひとつ五感を失っていく中で、太陽との愛を育みながら、それぞれの感覚を失うことの苦しみや、残された感覚の大切さを知っていく…というストーリー。味覚と嗅覚を失った者として、非常に興味深い物語だ。こんなに感情移入できる話はないだろうと観ていたが、現実の私と比べると意外と違っていた。味覚がなくなっても、嗅覚と触覚があればなんとかカバーできる。主人公の雨はパティシエを目指していたので、味覚を失っては夢を諦めるしかない。しかし普通に生活はできる。“嗅覚がない”というのは、映像ではなかなか表現しづらい。隣の人が屁をすかしても気づかないし、金木犀の香りに季節を感じたり、雨上がりの匂いに小さな幸せを感じるようなことはない。でも、生活に支障はない。ガス漏れの臭いに気づけなかったり、腐った食べ物の臭いに気づけないという、生命の危険に瀕するような事態でない限り、嗅覚がなくても問題ない。このドラマの中の永野芽郁は五感を失い、2025年の永野芽郁はCMを失い、芸能界での存在感まで失いつつある。まぁ、それはさておき…。
私は、“食”へのこだわりは、あまり強くない。嫌いな食べ物は納豆、苦手な食べ物はレーズン。高校時代まで過ごした実家では、母の手料理を頂いていた。兄は「おふくろの料理はまずい」とよく言っていた。父は、釜揚げうどんと刺身を好んで食べていた。私にとって、母の手料理と比べるものは給食しかなかったので、別にまずいとは思わず食べていた。1970年代後半、小学生高学年の頃のある日、母が作った茶碗蒸しを食べた時、石油の味がした。特に海老は石油臭かった。母にそれを言うと、茶碗蒸しの海老を食べながら「別に普通よ」と答えた。その頃、日本海でタンカーが座礁して原油が漏れ出し、深刻な汚染がニュースになっていた。私は間違いなく「このせいだ」と思い母に説明したが、母は「いつもと同じ味よ」としか言わなかった。「なるほど、母の味覚は狂っているんだ」と初めて認識した。そのせいなのか、今思えば私は子どもの頃から、醬油やソース、調味料を多めにかける癖がついている。妻のサイコの料理は、まぁ普通だ。料理学校に通ったり、家政婦をやったりしていたが、その割にはまぁ普通だ。単純に料理するのが好きじゃない、面倒くさいというのが、味に現れている。でも私は、“食”へのこだわりがそれほど強くないので、作ってくれるだけでありがたいと思っている。
味覚と嗅覚を失ったことで良かったこともある。嫌いな食べ物がなくなった。納豆は匂いがどうにも嫌いだったが、匂いがしないので食べられるようになった。しかも、たとえネバネバが服に付いたとしても、私自身が匂いに気づかないので、納豆臭を周囲に振りまく“納豆人間”になっていたとしても、平気である。なんならミートくんがオムツにウンチしてても気づかないし、もう括約筋が衰えだした私自身がウンチを漏らしていたとしても、まったく平気だ。渡辺淳一先生も驚きの見事な“鈍感力”である。もうひとつ良かったことは、ノンアルとアルコールの区別がつかなくなったことである。私はお酒が大好きで、特にビールが大好物だった。日本酒とワインと焼酎とウイスキーも大好きである。今はもう、ノンアルもビールも味はしない。しかし、喉越しは同じだ。以前は「ノンアルは美味しくない」と感じていたが、今はノンアルもビールも変わらない。血液検査の結果が芳しくなかったので、これは絶好のチャンスである。日本酒とワインと焼酎の味は、水と変わらない。ウイスキーとジンとウォッカは舌に刺激を感じるし、喉が焼ける感覚がある。いろいろ飲み比べているうちに、少し甘みを感じるようになってきた。最終的に、サントリーの“角”をストレートで飲むのが一番という結論に達し、お酒を飲むときは“角”を少しだけ、ということにした。こうして私は、ノンアルコールビールの愛飲家となったのである。
スピ子から久しぶりに電話があった。「頭か…、脳だよね。出てるんだよなぁ、この時期。ちゃんと回避方法を教えておけば良かったんだけど、コロナで会えなかったからね、ごめんね」。スピ子の惑星術(仮)によれば、健康運の面で頭(特に脳)に危険なサインが出ていたそうだ。しかし、コロナ禍で「電車には乗るな」「パーテーションのないタクシーには乗るな」「自転車移動しろ」と言っていたのはスピ子である。それでもスピ子は、私の怪我をいろいろ心配してくれた。そして最後に、私にこう言った。「サイコを元気づけておいたよ。ヒデの味覚なくなったから、もう料理に悩む必要なくなってよかったじゃん!て」。私はスマホを耳に当てながら苦笑いするしかなかった。
数日後、サイコが笑いながらこんな話をしてくれた。
「先生が言ってたよ。ヒデちゃん味覚がなくなったから、ブタの餌食わせとけばいいよ。サイコはもう料理作らなくていいからよかったじゃん!だって!(笑)」
4年後の2025年。“古古古米”や“古古古古米”という、本来ニワトリやブタなど家畜の飼料となる備蓄米を、5キロ2000円で買うハメになろうとは、この時はまさか、知る由もなかった。

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