ー第8章ー “あたおか”サイコ

“あたおか”へまっしぐら

　“あたおか”という言葉は、芸人の“見取り図”がネタの中でツッコミの常套句として使用し、多くの人が認知することとなった。意味は「頭がおかしい」。ただ「頭がおかしい」を略しただけの言葉ではあるが、シンプルでマイルドで、それでいてインパクトがある。2019年上半期のインスタ流行語大賞では、流行語部門の1位となった。

　お笑い芸人が生んだ流行語といえば“エッチする”という言葉がある。テレビやラジオで「セックスする」とはストレートすぎて言い憚れる。でも下ネタを面白おかしく伝えたいというので、明石家さんまさんが編み出したのが、“エッチ”を動詞化した“エッチする”という表現。『オレたちひょうきん族』が始まった1981年頃からお茶の間に広まっていった。“エッチ”とはそもそも“変態”の頭文字から取られたもので、1955年発表の舟橋聖一さんの小説で、変態を表わす表現として使われたのが最初とされている。その後、永井豪さんのマンガ『ハレンチ学園』の影響で子供たちの間に広がった。

　“エッチ”と同じ意味合いで使われた言葉に“チョメチョメ”がある。2024年放送のテレビドラマ『不適切にもほどがある！』でも何度も“チョメチョメ”が出てきたので、覚えている人も多いだろう。もともとは1979年から放送されたクイズ番組『アイ・アイゲーム』で「××」に代表される伏字を読み上げる際に、司会の山城新伍さんが「チョメチョメ」と言っていたのが最初とされている。番組では基本的に、素直に考えれば下ネタと推測できる文章ばかりが問題に選ばれていて、いかにそれを避けて答えるかが考えどころだった。一般参加者が解答者なので、放送禁止用語スレスレの発言も少なくなかった。こんなことから、男女がエッチなことをするさまを指す隠語めいた表現として使われるようになった。この“チョメチョメ”に関しては、楳図かずおさんのマンガ『まことちゃん』で1977年から使われていたので、楳図かずおさんが発案者で、山城新伍さんが流行らせたとみるのが的確かもしれない。まぁ、どっちでもいいけど。

　もうひとつ“ニャンニャンする”という言葉も流行った。1983年に起きた芸能界スキャンダル“ニャンニャン事件”がそのきっかけだ。当時、人気絶頂だった15歳の人気タレント高部知子さんが、ベッドで裸体に布団を掛けてタバコを咥えた様子を捉えた写真が、写真週刊誌『FOCUS』（1983年6月24日号）に掲載された。『FOCUS』の記事では、その問題の写真について「ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の一服である」というキャプションがついていた。高部知子さん含む3人組ユニット“わらべ”がリリースした大ヒット曲「めだかの兄妹」の中で、彼女のソロパートの歌詞のフレーズに「ニャンニャン」という猫の鳴き真似（オノマトペ）があり、「セックス」や「性行為」といった言葉を使いたくなかった記者が、それを拝借して使用したらしい。これをきっかけに“ニャンニャン”は性的な意味合いと結び付けられ、当時の流行語となった。ちなみに、1985年から放送された人気テレビ番組『夕やけニャンニャン』の“ニャンニャン”は、ここからネーミングされたと言われている。

　さて、“あたおかサイコ”である。今日も今日とて、スピ子から苦情が寄せられる。

　スピ子に言われるがままにサイコにLINEする従順な私。もうこれ以上、事を荒立てたくない一心である。この直後、サイコからスピ子に「自分は悪くない」という言い訳メールが届いたそうで、スピ子は「二度と連絡すんな」とブチ切れたそうだ。ブチ切れたスピ子をなんとかなだめるには共感して同調して、あとはひたすら謝るしかない。

稲葉家ルール？

　スピ子は「サイコはヒデのことナメてるから“もう離婚する”って言いな」と言うが、私は“離婚”という二文字を口にしたくない。この言葉を言ってしまうと、言霊となって自分を呪縛し、そういう結果に導かれてしまいそうだからだ。言霊とは、言語にこもる精霊、または霊力のことである。「言葉に霊力がこもっている」という考え自体は日本列島の古代社会にすでに存在したものであり、『古事記』『日本書紀』『風土記』などにその影響が見られる。と、ウィキペディアにも書かれているが、スピ子は「言霊なんてないから大丈夫！」と、占い師っぽくないことを平気で口にする。「離婚を回避するために“離婚する”って言うの」と、禅問答のようなことも言ってくる。そして今日も、私に苦情を言ってくる。

　クレームに挟んで、ちょいちょい仕事の話を入れてくるスピ子。どうやら、大竹しのぶさんを占うから、大竹しのぶ情報が欲しいらしい。テレビ番組で有名人を占ってハズすわけにはいかないのはもちろん、「えっ！そんなことまでわかるの？」と言わさないと盛り上がらないので、裏情報は必要なのだ。私は渋谷区に住んでいるので、近所の有名人情報は耳に入って来るし、見かけたりもする。“1000年に1人の逸材”として大ブレイクした女優についても聞かれたので、「外苑西通りの渋谷区と港区の境目にあるギリ渋谷区のマンションに住んでるよ。最近見ないからもう引っ越したかもしんないけど」と教えてあげた。「ナチュラルローソンの隣の？」「そう、ナチュラルローソンはつい最近なくなったけどね」なんて話をした。オンエアを観てみると「ナチュラルローソンの彗星に呼ばれてる」みたいなことを言って、ＨＫさんを驚かせていた。そもそも、芸能人のスキャンダルがあると、記者のみなさんはすぐ現場の自宅に駆け付ける。芸能人の自宅なんてものは、もう特定されているのだ。

　サイコはまだYouTube事件を引きずっているらしい。2021年8月21日（土）、スピ子が“稲葉家ルール”を作って送ってきた。

　なんなんだろう…この”稲葉家ルール”というのは。確かに、それぞれの家に我が家のマイルールがある。例えば、トイレの便座カバーは毎回下ろすとか、自分の服は自分で洗濯するとか、エッチの時は照明を暗めに…、いやニャンニャンの時は…、チョメチョメの時は…、もうくどいか。正直なところ「この稲葉家ルールどうでもいいんだけど…」と思いながら、真面目な性分なので読みやすくリライトしてサイコにLINEを送った。

　この稲葉家ルールにサイコは何を思ったのか。この日以来、電話には出なくなり、LINEにも既読がつかなくなった。幸いみーとくんは私と一緒にいるので、それだけは安心だ。ただ1歳半の男の子と一緒だと、楽しい反面、家事も仕事も手につかない。これは問題だ。世のママたちの苦労が身に染みる。そしてサイコも大変だったのだろうと想像する。サイコとは連絡がつかないまま5日が過ぎた。

　スピ子からアドバイスが来た。“離婚”の二文字。嫌だけど、もうしょうがないか。

　サイコからようやく電話が来た。「離婚したくない。これから渋谷区の家に行ってもいいか？」と言うので、「今日は来ないで。信用できない。また連絡する」と言って電話を切った。その後、長文で支離滅裂なLINEが届いたが、読んでいると気分が悪くなってくる。翌日、とりあえず会う約束をしたが、サイコにドタキャンされた。LINEのやりとりを見ると、サイコの情緒が不安定すぎる。

　一週間ぶりにサイコと会った。みーとくんは最初サイコを知らない人扱いしてパパにベッタリ。時間が経ってちょっと気を使ってるのか、パパとママの間を行ったり来たりしている。私はサイコに「120%離婚」と伝えた。もはや“離婚”は言霊となって、私の中に宿ってしまったようだ。ただ、みーとくんの前ではケンカしたりイヤな雰囲気を作りたくないので、話はみーとくんが寝てからした。サイコの言うことは、どこまでホントでどこからウソかよくわからないし、信用もできない。「みーとくんがいなかったら、完全に離婚してるな」と思う。けれど、嫌いではないし、憎めないので、もう少し様子を見てみようと思った。渋谷区で一泊したサイコは、8月29日ミートを連れて台東区へ帰っていった。

　大人同士の会話とは到底思えない稚拙さ。シュールなコントと言われても笑えない。そもそもサイコはガリガリに痩せてはいない。これ以上太る必要はまったくない。スピ子は私にサイコがバカなことを伝えたいのか、ただストレスを吐き出したいだけなのか、なんなのだろう。スピ子は話を盛る癖があるので「3日で4キロ痩せた」はウソだろうが、無理に太らせる必要はない。そんなに太らせたいならタイムマシーン3号の漫才のように、「半袖短パン」を「あんこでパンパン」にし、「101匹わんちゃん」を「101キロあんじゃん」くらい太らせ、「生類憐みの令」を「超うまい脂身だイエーイ！」と喜ぶくらい太らせてほしい。

　一週間みーとくんと一緒に過ごして、いきなりひとりになったので、“みーとロス”に襲われてしまった。サイコがミートくんと暮らす台東区のマンションの更新は10ヶ月後。そのタイミングでマンションは引き払いたい。サイコにみーとくんのことを任せるのは危なっかしいので、私と渋谷区で暮らすようにしようと考え、スピ子にメールした。

　悪くない提案だ。グミ子は3児のママで子育てに理解がある。サイコに対しても割と好意的で、まっとうな文句を言う。これからいわゆる“魔の2歳児”になるみーとくんを、パパがひとりで面倒をみるのには不安がある。私は20年ほど前、最初の妻“ビリーの女”との間に男児を授かったが、その子の1歳の誕生日に別居して離婚するという離れ業を成し遂げているので、1歳以降の子どもの面倒をみたことがない。とりあえず、台東区のマンションを解約する10ヶ月後までは、私もサイコもスピ子もグミ子もみんなWinWinWinWinな提案に思われた。最後の一行「犬殺さなきゃひでと住めないというし」という文言は、間違いなくコンプライアンス違反な発言で気になる。私が飼っている2匹のチワワ、メイちゃんとライトくんのことは大っ嫌いで「アレルギーが出る」と言うが、それを言い始めたのはみーとくんを生んで実家に帰ってからのことで、それまで一緒に犬と暮らしていた2年間は何も言わないどころか、一緒に遊んでいた。そしてスピ子が飼っているポメラニアンにも文句を言わない。アレルギーが出たところを見たことがないので、サイコの言うことは信じられない。

　2021年8月31日（火）私はサイコにLINEを送った。

　サイコから“あたおか”なLINEが連投されるようになった。

　このやりとりに付き合える人は、いるのだろうか。意味不明なLINEがたくさん来るので、残念ながらここでは紹介しきれない。

　サイコの前の旦那とは私は面識がない。スピ子によればイクミという女が関係してくるらしい。サイコは高校卒業後にオーストラリアに留学し、そこで前の旦那とイクミに出会った。ドＳサイコとドＭ旦那の情報源はイクミである。サイコは離婚後、幼い子どもと3人暮らしのイクミ家族の家で家政婦として働くようになった。イクミの旦那は不動産関係の社長で羽振りが良いらしい。もともとイクミがスピ子の個人鑑定を受けていたので、サイコもスピ子と繋がることになった。イクミの旦那とはスピ子の結婚式披露宴で挨拶をした。会ったのはその1回きりでイクミとは会ったことがない。その時わかったのは、イクミの旦那はサイコのことが大っ嫌いということである。

　この当時は知らなかったことだが、“境界知能”というのを後から知った。境界知能の子どもは、知能指数（IQ）が「70以上85未満」とされていて、知的障害に該当する「IQ70未満」ではないものの、IQの平均域と言われる「IQ85以上115未満」には届いていない。国の人口の上位2%に入るIQを持つと、世界最大の高IQ団体“メンサ”の会員になれるが、境界知能の子どもは、普通学級の授業にギリギリついていけるかいけないかのラインにいて、統計上は人口の14％、35人学級であればクラスに5人くらいいる計算になる。うまく人に相談できないというのも、知的障害や境界知能によく見られる特徴だそうだ。特に境界知能の場合、「やる気がない」「怠けている」と捉えられ、周囲の人に理解されないまま、挫折を重ねて孤立するケースが数多くあるという。知能の問題がきっかけで勉強についていけずに退学し、結果、非行につながり犯罪の加害者になっていく少年少女たちもいる。そんな境界知能の人の特徴はというと…。
・相手の気持ちが想像できずにトラブルになる。
・感情をコントロールするのが苦手でキレやすい。
・約束を忘れてしまう。忘れ物が多い。
・先生や上司や人の話を聞けない。
・友達との会話についていけない。

　サイコのIQは知らないが、すべて当てはまる気がする。でもこの当時、私は“境界知能”というものを知らなかった。

　第9章へつづく。

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