占いでマッチングされた相手とお見合いしてみた
いよいよその日がやってきた。2018年2月2日。
勝負デートの時は、外苑前の「アラマンダガーデン」(2020年5月31日閉店)にある「リストランテ ステラ」と決めている。南青山の一等地に位置し、地上34mから東京のパノラマ景色を見渡しながらお食事が愉しめる、緑あふれるガーデン&プール付きの天空イタリアンレストラン。ただ、ここでディナーをしたからといって、交際に発展した女性は1人だけだ。打率は身長にも満たない。素敵なファーストディナーをセッティングした自分に酔っているだけである。しかし、これだけコンディションを整えて、ホームと言えるレストランに迎えて、それでダメだったのなら、やることはやったのだからと諦めがつく。
2月の寒い夜とはいえ、私には油断できないことがある。更年期障害から来るホットフラッシュだ。これが実に厄介で、ちょっとした緊張感で滝のような汗が噴き出る。例えば銀行のATMで自分の後ろに人に立たれようものなら、早く振り込まなければという焦りから、顔から吹き出た大量の汗がタッチパネルを覆い尽くし、タオルで拭いても拭いても、タッチパネルが全然いうことをきいてくれないという”ATM負のループ”に陥ってしまう。そんな場合を想定し、ヤバそうな日にはあらかじめ、かかりつけ医に処方してもらった “プロバンサイン”(汗が出るのを抑える薬)を服用する。実際には気休め程度にしか効かないという実感なのだが、猛暑の夏に服用すると、本当に発汗しなくなって熱中症で倒れたことが何度かあるので、使用には十分注意しなければならない薬だ。
高級なレストランとなるとドレスコードというものがある。2月の雪が舞う夜でも、正直なところ短パンにTシャツ、サンダルが程よく涼しくて快適なのだが、これではお店に入れてもらえないので、私の好きなトミー・ヒルフィガーのシャツとポール・スミスのジャケット、ディーゼルのジーンズに身を包み、少し多めに“プロバンサイン”を服用して、ハンドタオルを10枚ほど持ち、冷却スプレーをポケットに忍ばせて、レストランに入った。
今回のお見合いディナーには、マッチングしてくれた占い師スピ子も同席してくれた。いつもなら、セージでお清めして鐘をチリーンと鳴らして心と空気を整えてくれるのだが、レストランなのでそういうわけにはいかない。スピ子から「ヒデは目力が強すぎるから絶対見つめすぎないように」など注意事項を聞きながら、シミュレーションをして心を落ち着かせた。今日が勝負なことを、私もスピ子も感じている。
少し時間を遅らせて伝えた通りに、サイコはレストランにやってきた。第一印象は「意外とオッパイ大きいなぁ」だったことを、今でも鮮明に覚えている。正直私はオッパイにさほど興味がないので、興味がないことに最初に目がいった自分に、少し驚いた。きっと気合いを入れて盛ってきたんだろうと思いながらも、第一印象は悪くなかった。笑顔が可愛らしい女性だ。これまで1ヶ月間メールで愛のようなものを育んできたので、お互い前向きである。
出会った当時のサイコは37歳で、派遣社員として丸の内の一流企業でOLをしていた。私とスピ子はちょうど10年の付き合いがあったが、サイコもちょうど10年ほど前からスピ子に個人鑑定をしてもらっていたという。不動産業を営むズミさん夫妻に連れられて占いに来たのが最初で、ズミさん妻とはサイコが高校卒業後に行ったオーストラリア留学で仲良くなって以来の親友。ズミさん妻が結婚してからは、自分が離婚して独り身になったこともあり、夫妻の豪邸で家政婦として住み込みで働いていたらしい。赤ちゃんの子守り役としてハワイ旅行にも連れて行ってもらったそうなので、よほど仲が良かったのだろう。家政婦として家事のイロハから叩き込まれたそうで、掃除洗濯は得意で料理も好きだという。お嫁さんにするには申し分ない。
だが、数ヶ月前に何か事件が起こったのか大喧嘩をしたのか、サイコはズミさん夫妻から見放されてしまった。ネガティブな話なので詳しいことは聞いていない。家政婦を辞めたサイコは派遣社員として働き始めた。こんなにうまくいかない時は、ますます占いに頼りたくなってしまうことだろう。サイコはスピ子の個人鑑定を受けた。そこで「お見合いパーティーに行ってきなさい」と薦められた。早速お見合いパーティーに行ったサイコはハズレくじを引いてきた挙句、その男と同棲を始めてしまった。なんという行動力。そして裏目の引きの強さ。スピ子の惑星術的にも、この木星の男と海王星のサイコとは相性が最悪で、実際の木星男は、釣った魚に餌はやらない、結婚願望なし、都合のいい家政婦扱いだったという。
明るい未来が見えないサイコは2017年の暮れにスピ子のもとを訪れ、個人鑑定を受けた。そこでスピ子が出した結論が「海王星のサイコを救えるのは天王星の男しかいない」だった。で、スピ子から私に電話がかかってきたのである。
「海王星の女の子がいるんだけど、この子救えるのって、天王星しかいないんだよね。で、天王星誰かいい人いないかって探してたら、いた! ヒデちゃんだわ!」
今日は2月2日。明日は節分。占い的に1年の運勢の始まりは節分からである。スピ子が惑星術的に完璧なタイミングで出会いをお膳立てしてくれたと感謝した。私とサイコはメール交際中から2月4日に引っ越しをして同棲を始めようと約束していた。今日初めて会ってみて、うまくいきそうだと確信した。ディナーの最後に、私はサイコにプレゼントをあげた。ルイ・ヴィトンのキーケースに私のマンションの鍵をつけて。ベタな演出に失笑が聞こえてきそうだが、私はいたって真剣である。ただ、万が一別れた後に、鍵ごと交換しなければいけないリスクなど一切考えていない。それほど有頂天であった。
交際期間0日同棲始まる
「付き合ってください」と言った日が交際初日なのか、あるいは初デートをした日か、手を繋いだ日か、キスをした日か、交際初日をどの日とするかは人それぞれだが、私的には、2月2日は初めて会った記念日、2月4日を交際(同棲)記念日としている。であるからして、交際期間0日同棲ということになる。
お見合いディナーをして2日後の2月4日、サイコは20箱ほどのダンボールとともに、赤帽に乗ってやってきた。いよいよ同棲生活の始まりである。私はかなり気合いを入れていた。
1月のメールのやり取りの中で「ちょっとズボラなところがあるかも」と謙遜していたので、トイレを最新型のTOTOに替えた。人感センサーで便座カバーが開閉するタイプで、タンクレスのスッキリしたデザインである。トイレの使用後は便座カバーをきっちり下げるタイプの私は、この買い替えでイラっとするポイントをひとつ消した。さらに「お料理が好きで料理学校に通っている」と言っていたので、ガスコンロとレンジフードを最新型のRinnaiに交換した。掃除も楽になり、何よりも新品は料理が楽しくなるだろう。ただ、料理学校には実際通ってはいたが、料理作りが好きなわけでも得意なわけでもないことが、後になって判明した。そして、一番楽しみにしていた初夜は、生理のため延期された。ほろ苦い同棲生活のスタートとなった。
私とサイコの交際(同棲)スタートを誰よりも喜んでくれたのは、スピ子であった。スピ子はイベント好きで、自分の誕生日には100人以上ゲストを呼んで盛大なパーティーをやるし、私の誕生日にもサプライズで30人くらいゲストを集めたパーティーをしてくれたりもした。春にはお花見、夏には屋形船、秋にはハロウィン、冬にはクリスマスや鍋パーティーなど、スピ子が音頭をとって、私を含めた数人がちょっと多めにお金を出して、コロナ禍になるまでは毎年楽しく盛り上がっていた。スピ子は人を喜ばせることが大好きなのだ。
そして、私とサイコのお披露目のために親しい友人を集めて、私の家でたこ焼きパーティーや串揚げパーティーを開いてくれたり、上野公園でのお花見に呼んでくれたり、この年の春はかなりハッピーだった。
ハッピーといえば、この年2018年3月20日にはサイコの妹バリ子が結婚式を挙げた。が、このめでたい話は申し訳ないがどうでもいい。なんと3月1日にスピ子が浦安にあるアートグレイスウエディングコーストで結婚式を挙げたのだ。私はもちろん招待していただいたが、サイコは招待リスト制作時には占い鑑定を受けるお客さんのひとりに過ぎなかったので招待されることはなく、二次会のお手伝い要員として裏方にまわった。招待客と言っても私も半分裏方のようなもので、披露宴用の新郎新婦の馴れ初め紹介ムービーや、二次会用の2018年招待客運勢ランキングムービーなどを作ったのが懐かしい。そういえば二次会ではカメラマンもやったんだった。
何を隠そう私は、新郎新婦を、出会いの瞬間から見届けている。2011年6月15日、ふたりは出逢った。スピ子がパーソナリティを務めるラジオ番組のゲストとして、バンドのメンバーとふたりで出演したのである。私はその番組のディレクターだ。将来スピ子の旦那となる彼は、ミュージシャンであった。バンドはメジャーデビューしていたので、名前を聞けばわかる人も多いことだろう。収録を終えたスピ子は「運命の人だ」的なことを確か言っていた。占い師はよく「自分のことは占えない」ようなことを口にするが、スピ子の場合はそうではないらしい。おそらく収録中に連絡先を交換したのであろう。その後しばらくしてふたりは仲良くなり、交際を始めた。私はよくふたりと一緒に食事をしたし、海外へも何度か一緒に行った。普段は寡黙だが、非常に頭の切れるイケメンである。スピ子の惑星術(仮)に関しても、私より遥かに理解度が高かった。
披露宴の席次を見て、不思議に思ったことがある。親族含め、出席者は92名。有名人も多数いた。有名ではない友人も多数いる。しかしその中に、新郎の友人らしき人の名は、ひとりも見当たらなかった。バンドのメンバーでさえも出席していないことが不思議だった。 後日、新郎の親しい友人だった男性の奥さんから、旦那が新郎と連絡を取りたがっているんだが連絡が取れないのでなんとか繋いでくれないか、と相談を受けたことがある。私が新郎に尋ねると「もうずいぶん前に昔の仲間とは自分から縁を切ったんです。新たなスタートを切るために」というような返事が返ってきた。しかしながら、要はスピ子が邪魔になりそうな友人の連絡先を全部消去させたんだな、と感じた。なぜならスピ子はかなりの秘密主義で、頑なに何かを守ろうとしていることを日頃から感じていたからだ。それが何なのかは、いまだにわからない。
4月に破壊の彗星が飛んでくる
サイコと同棲を始めると、ひとつだけ少し気になることがあった。我が家にはチワワが2匹いる。今まで何も気にせず犬との同居生活をしていたが、サイコは子どもの頃喘息を患っていたという。犬は好きだと言っていたが、やたら掃除機をかけたり部屋中コロコロをするので、やはり我慢しているのだろう。言われてみれば、犬の抜け毛は結構気になるものだ。徐々に犬の行動範囲を狭めていき、最終的に私の仕事スペースだけを犬の居住空間とした。
2015年から飼い始めたメイちゃんとライトくんは、私にとっては命の恩人である。更年期障害と鬱がひどくなり、心が壊れかけていた時、偶然ペットショップの前を通りかかって一目惚れしたのがメイちゃん。一緒に暮らしてみると生活にメリハリが生まれ、心がとても癒されたので、2ヶ月後にはメイちゃんのパートナーにとオスのライトくんを迎え入れた。当時は部屋に籠って仕事することが多かった。引きこもり生活はやはり精神的によろしくない。そして愛情を注げる存在がいると、心が満たされるのを感じる。
鬱がひときわ酷くなる直前の2015年の3月にサイパンへグラビアロケに行った。もちろんスピ子も一緒。サイパンへ行く前、スピ子は私にこう言った。
「これが最後の海外ロケになるよ。グラビアの仕事からは遠ざかる。精神的ダメージが入ってくる」
そんなバカな。これからも全然やるよ。天職かもしれない。と思っていたものの、あれ以来、海外ロケへは行っていない。しかもグラビアの仕事もしていない。そして精神的ダメージで気がおかしくなりそうな日々を過ごした。
スピ子の惑星術(仮)、恐るべし。
とてつもなく当たる。最悪の事態からの回避方法を教えてくれたので、なんとか生き延びていられたようだ。
時は過ぎ2018年春。私がサイコと付き合い始めた春。スピ子はこう言った。
「4月に破壊の彗星が飛んでくるから気をつけて。別れの危機がやってくる」
そんなバカな。サイコとは超仲良くやってるよ。別れのきっかけなんて来るわけないでしょ!
その年の4月19日、私とサイコは岐阜県飛騨市を訪れていた。私の生まれ故郷である。そしてそこは映画「君の名は。」の聖地でもある。「君の名は。」の主人公・三葉のように「こんな田舎いやや!」と叫んで、私は東京の大学に進学した。以来、田舎にはめったに帰らなかった。しかし「君の名は。」を観て、方言の懐かしさに開始3分で涙が溢れていた。そして三葉に感情移入し過ぎて、その後はずっと涙が止まらなかった。自分が生まれ育った町と映画の舞台がオーバーラップする。結局私は、生まれ故郷の岐阜県飛騨市古川町が大好きだった。
同棲を始めて2ヶ月半、私はサイコと結婚すると思っていたので、一緒に故郷を訪れた。お袋は認知症で状況がよくわかっていなかったが、親父はたいへん喜んでくれた。兄もとても歓迎してくれた。4月19日と20日は古川祭である。私はこのお祭りが子どもの頃から大好きで、中学生の頃は屋台(山車のこと)に乗って笛を吹いたり太鼓を叩いたりもしていたし、起こし太鼓の迫力に毎年魅了されていた。地元民が大いに誇るお祭りである。
4月19日は実家に1泊、20日は飛騨市の老舗旅館に1泊、21日は白川郷で1泊、22日は奥飛騨温泉郷で1泊の予定。事件は3日目の白川郷で起きた。白川郷の旅館には美人3姉妹の仲居さんがいた。夕食をご馳走になっていたところ、私が「ショートの髪型が似合っていますね」と仲居さんに言うと、サイコの態度が急変した。激しく嫉妬したようである。私もお酒が入って調子に乗っていたのかもしれないが、それにしてもである。その晩は関係修復不可能な状態になってしまい、結局その後、約48時間一言も会話を交わさないまま、飛騨高山観光をし、奥飛騨温泉旅行をした。
そういえばスピ子が言っていた。「4月に破壊の彗星が飛んでくる」と。確かに飛んできた。すぐ近くから飛んできた。まったく予想できなかった展開である。
スピ子の惑星術(仮)、恐るべし。
こんなに嫉妬深い女とは一緒にいられない。しかしいいところもたくさんある。私がお酒を控えて調子に乗らなければ回避できる。どうしたものか。私はスピ子に相談した。サイコもスピ子に相談した。
1週間ほど悩んだ挙句、やっぱり一緒にいたいという結論に至った。なんだかんだ言って、憎めない可愛いヤツなのだ。そして私の欠点は酒癖が悪いこと。こればかりはどうしたものか、悩ましい。
みんな!グアムに集合!
私の酒癖は20歳の頃から悪い。気が大きくなり、先輩にも絡むし、女の子は口説くし、金払いが良くなるので気が付くと財布からお金が消えていたり、カード会社から架空ではない高額な請求が来たりする。年に一度は記憶を無くした。40歳を過ぎると月に一度は記憶を無くした。なぜ悪いのか、まったくわからなかったが、数年前に自分がHSPだと自覚してから、すべてわかった気がしている。普段はとても周りの目を気にして常に控え目な性格。お酒の力を借りないと雄弁になれないし、本音も語れない。ほどほどにお酒が入るくらいだとちょうど良いのだが、飲み過ぎると大体迷惑をかける。フォローしてくれる後輩がいてくれる時はいいのだが、いない場合は、まぁ、引かれる。
そんなわけで、サイコと仲間の席でも何度か失態を晒してしまい、サイコへのお詫びにシャネルのバッグを買ってあげるハメになることもあった。そんなこんなで紆余曲折を経ながらも、2018年11月1日、私とサイコはめでたく結婚することになった。
2019年2月、スピ子が旦那様と一緒に1カ月ほどグアムに滞在することになった。スピ子の友達には「スケジュールを調整してみんなグアムに来てね」とのお達しが回った。私とサイコも2月23日から27日まで4泊5日でグアムへ行った。
偶然にもホテルの部屋が最上級のスイートルームにアップグレードされた。この予期せぬサプライズが、ホテル側の配慮なのか、スピ子の手回しなのかは定かでないが、本当のサプライズはその後に待っていた。「白のハーフパンツと白のサンダル持ってきて」と言われていたのだが、ディナー会場へ入ると、白のジャケットが用意され、花の首飾りやシャンパンにケーキが用意されていた。結婚式を挙げる予定がなかった私たちへの、ささやかなサプライズプレゼント。スピ子と友人たちに心から感謝した。ビーチでの記念撮影では、スピ子がレフ板を持ったり、サイコのメイクを直してくれたり、また次の日にはグアム一周パワースポット巡りに連れて行ってくれたり、最高のおもてなしをしてもらった。
サイコはスピ子のことを「先生」と呼ぶ。10年以上前から個人鑑定をしてもらっているのだから、先生はいつまで経っても先生だ。私はスピ子のことをいつも「スピ子ちゃん」と呼ぶ。仕事で初めて出会った時から「スピ子ちゃん」と呼んでいる。子宝についても占ってもらった。もうすぐ授かるという嬉しい占い結果だったが、グアムベイビーとはならなかった。
2019年はとても楽しく、3人にとっても素晴らしい年だった。春にはみんなでお花見、5月にはみんなで銚子旅行、6月にはサイコの妊娠が判明し、7月にはスピ子のバースデーパーティー、10月には星野リゾート界鬼怒川へスピ子夫妻と共にサイコの誕生日旅行。
2019年12月、サイコは産休に入った。
第4章へつづく。